あるアスペの一生

30歳の失恋をきっかけにアスペルガーとしての過去の人生を否定しようともがき苦しみながら生きている阿呆の一生を書き連ねるブログです。

強みも失われてしまったこと

私はアスペルガーだったので、世間一般でいうところの「空気」をまったく読めない人間だった。

今でも本質的にはそうかもしれないが、だいぶ気を付けているつもりだ。

余計なことは言わない、自分の意見主張はしないように努めている。

 

ただ、その結果私自身の強みが失われてしまったと思うこともある。

自己主張しない人間が無難に評価されることが多い日本社会の中でも、自己主張した方が評価される世界もあった。

それが大学だった。

私は学生だった当時、思い立ったが吉日と言わんばかりに、興味をもった授業を担当する先生何人かの研究室にアポなしでいきなり押しかけて色々な質問をしたことがあった。

これは偶然だったが、そのような時に先生方はたまたま研究室にいらっしゃった。

今思えば本当に幸運で、私が事前連絡も無しに尋ねた先生方は本当に忙しく、普段は研究室にいることが稀だった。(と、当時の先輩方に言われて何度も驚かれた。)

 

社会人になってから、忙しい先生方に事前連絡も無しにいきなり研究室に行くなどという行為は失礼も甚だしいことを知った。

しかし、先生方は二十歳になったばかりの若い熱意あふれた(と同時に空気を読めなかった)私を本当に快く受け入れてくださり、お忙しい中少なくとも1時間は時間を割いてくださったことも多かった。

私はその後、研究面で大学の学科内で色々と問題視されることになったが、そのとき私が押しかけに行った先生方は割と私の味方になってくださったと後で思った。

没個性的な社会において、私の「空気の読めない」行動が逆にポジティブに評価されたのだと思った。

もちろん先生方の研究室に押し掛けた時はそんな打算的な気持ちはなく、己の知的好奇心の赴くがままに行動しただけだったが。

 

失礼極まりない行動だったことは事実だが、その当時の先生方は若気の至りという点も考慮して、それをやる気がある学生だと評価してくださった。

一方で、今はそのような行動をとるのに躊躇してしまう。

もちろん、それが普通なのだ。

会社の取締役や部長に事前相談無しに話に行くなんて言語道断だ。

若くても許されるものではない。

しかし、その常識を得てからは、良くも悪くも向う見ずなチャレンジ精神を失ってしまった自分自身にがっかりすることもある。

多くの場面でそれは失礼なことだったのかもしれないが、もしかしたらわずかな確率で大きなチャンスを手に入れることができる可能性も秘めているから。

少なくとも私が学んでいた大学では、私の普通の人とは違うチャレンジ志向を評価してくださった先生方が何人もいらっしゃったから。