あるアスペの一生

30歳の失恋をきっかけにアスペルガーとしての過去の人生を否定しようともがき苦しみながら生きている阿呆の一生を書き連ねるブログです。

好きなものに執着しすぎる

昔から好き嫌いの激しい子供だった。

好き嫌いというか、0か1かの思考だった。

好きなもの、興味を持ったものにはとことん執着した。

一方で興味のないものもは全くやる気が起きなかった。

 

私は理系だったが、興味さえ持てば他の多くの人が難解だと思われることも比較的難なくこなしてきた。

決して頭が良かったわけではなくて、好きだから勉強することが苦痛でなかったからだ。

一方で、興味がないことには一切やる気が起きなかった。

学校のテストの点が悪いのは良くないことだと思っても、本当に頭も体も、どちらも働かなかった。

私の場合、たくさんのことを単純に暗記しなければならない科目が苦手だった。

具体的には、英単語、漢字、歴史の年号のテストは本当に苦手で、小学生のときからひどい点をとっていた。高校でも科目によっては赤点ギリギリだった。

やらなければならないことはわかっていても、本当に全くやる気が起きなかった。

 

それでも、それが勉強のことであれば大きな問題にはならない。

いや、勉強ができないのは問題だという意見も多いかもしれないが、勉強をして優秀だと評価されるのも、しなくて劣等だと揶揄されるのも、すべて自身の責任で済むのだから。他人に迷惑をかけることはない、という点で大きな問題にはならない。

問題は、対人関係で好き嫌いが明確に出ることだった。

 

私は好きな人にはとことん優しくした。

それは贔屓なのかもしれないが、少なくとも私の中では打算的な気持ちは一切なく、心の底から自分が大切な人には優しくした。

その一方で、興味関心が無い相手には普通の人以上に何もしなかった。

例えば学校のクラスメイトとか大学、会社の同期ならば、最低限の付き合いを世の多くの人はするらしいのだが、私は一切しなかった。

面倒だと思えばちょっとした集まりや飲み会もすべて断った。

 

クラスメイトとか友人関係であればまだよかった。

また、嫌いだと思って一切関わらない人に対してであればそれ以上の外にはならなかった。

一番の問題は、異性に対し好意を寄せてしまったときだと思う。

 

本当に理由はわからないのだが、私は好きな異性ができると、恐ろしいくらいにその相手に執着してしまっていた。

振り返れば10歳から31歳までの、自分の半分以上の人生はそうだった。

もともと異性にモテる要素もない上に、一方的に強い想いを寄せられた異性が私のことを好きになるはずもなく、うまくいくはずもなかった。

それなのに、振られてからも私は何年もその相手のことを忘れることができなかった。

中高生くらいのときは、それが純情なのだと、その考え方もどこで覚えたのかわからないような、変な理屈で自分自身の思いを大切にしていた時期があった。

それは相手にとっては迷惑でしかなかったのに、気持ちを切り替えることが全くできなかった。

大学生になったとき、さすがにこれはおかしいと理性が思っても、その気持ちを払拭することができなかった。

冷静に考えて、新しい恋を見つけるべきだとわかっていても、なぜか、本当に理由はわからないが、元々好きだった人のことを忘れることができなかったし、その状態で誰か別に好きになれそうな人を探すということができなかった。

そして、その一方的な気持ちはさらに互いの人間関係を悪くするだけだった。

それでもその気持ちに区切りをつけられない。

実に破滅的だ。

 

私がアスペルガーであった自分の過去と決別をしようと思って以降は、そこまで強く誰か特定の異性に執着をすることはなくなった。

その一方で、本当に好きな人、好きなものも失ってしまった気がした。
今まで本当に大切だと思っていたほかの友人たちや持ち物、趣味だったことにまでも、情熱が薄れてしまった。
0 か 1 かでいうと、1 が無くなってしまった。どれも「中途半端」な好きになってしまった。

でも、それでいいのかもしれない。

私の一方的な思いが誰かを傷つけるのであれば、そうならない方がいいのだ。

そして、世の多くの人たちは、きっと必ずしも特定の誰かだけを愛し続けるわけでもないというのも現実なのだと、今は理解している。

だから一度結婚しても浮気をする人もいるし、離婚をする人もいる。

倫理的に良い事とはいえないが、それが人間なのだ。

生物学的に考えれば何もおかしくない、遺伝子の多様性確保のための必要なプロセスだ。

 

だからこそ、いつも30歳になる前の自分自身を振り返って不思議に思う。

私が執着していたものとは、いったい何だったのだろうかと。

その強いこだわりは、いったい私の中の何がそうさせていたのだろうと。