あるアスペの一生

30歳の失恋をきっかけにアスペルガーとしての過去の人生を否定しようともがき苦しみながら生きている阿呆の一生を書き連ねるブログです。

どうすればアスペルガーの弱みを克服できるだろうか

私は28歳のときにある場所で2時間4万円かかる心理テストを受けて、私自身がアスペルガー群に分類されることを知った。
仮にそのテストを受けなかったとしても、私の幼少期からの様々な行動や考え方は、テストのような客観的な証拠が無かったとしても、私自身がアスペルガーである可能性が高いことを示していた。

私が「アスペルガー症候群」という言葉を最初に知ったのは22歳のときだった。
児童養護施設での実習で教わった。
その時も私は、なんとなく自分もアスペルガーみたいだなぁと感じた。
そう言ったら、施設の職員さんは笑ってまさかと言っていたが、その6年後に実際に心理テストを受けることになるとは当時の私は当然想像もしていなかった。

私がアスペルガーである自分自身を否定し、できるだけ「一般的な」人になろうとし始めたのは、30歳での失恋、その直後の生きているか死んでいるかわからない1年近くの時間が経った後、31歳を過ぎてからだった。
未だにちょっとしたことで他者の気持ちを考えないような言動があるものの、それを反省して、少しずつ改善しようとはするようになった。

 

アスペルガーは個性だ。性格のひとつだ。
アスペルガーであること自体は、悪いことではない。
しかし一方で、アスペルガーであることによって、周りの人に負担をかけてしまったり、その結果巡り巡って自分自身が生きづらくなってしまうことがある。
日本のような「空気を読め!」という同調圧力の強い社会のみならず、日本よりもずっと個性を尊重するアメリカ合衆国のような国ですら、アスペルガーの人たちやその家族は生きるのが大変らしい。

アスペルガーという性格は、生きる上で強みにも弱みにもなる。
アスペルガーの人がよりよく生きるためには、強みとなる特質を生かせる環境に身を置くことも大切だろうが、同時に弱みとなる部分を克服する必要があるだろう。
職場でも家庭でも、自分自身の言動によって周囲の人がどのように感じるかをちょっと考えるだけでも、その弱みは随分克服されて、生きやすくなるに違いないと私は思う。

 

では、どうすればアスペルガーの弱みを克服できるだろうか。

もし私が20年前に戻り、20年前の私に話しかけることができたとしたら、何を伝えれば私の人生はより生きやすくなっていただろうか。

もちろん、一般的な方法は存在しないだろう。
それが存在すれば、アスペルガーの人も、その周囲の人も、それを支える精神科の先生方も、誰も悩むことはないだろう。

本当に悩んでいる人は、まずはプロである精神科・心療内科の先生か、それよりもお金はかかるが臨床心理士のカウンセラーの先生などプロに相談してみるべきだと思う。
個人的な経験から言えば、アスペルガーは病気ではなく、それ故に薬で治るというものでもないので、精神科・心療内科の先生よりはじっくり話を聞いてくださるカウンセリングの先生の方が良いのではないかと思っている。

 

以下はあくまで、アスペルガーを自覚した私の個人的な意見であることを特筆しておきたい。

 

一番重要なことは、アスペルガーであろう人自身が「私はアスペルガーかもしれない」と自覚することだと思う。
これが第1のステップだ。
もしもあなた自身がそれを自覚してこのウェブサイトにたどり着いたのであれば、もうこの段階を達成できていると思う。
それ以上何か新しいことをする必要はないと私は思う。

アスペルガーであるかどうかの正確な診断は、お金もかかるしそれを行っている病院等も少ないので、それ自体は必須ではないと考えている。
(病院やカウンセリングに行く必要はない、というわけではなく、病院でアスペルガーかどうかの診断をしてもらう必然性はない、ということである。)
ASDについて解説している心療内科や精神科のウェブサイト等で紹介されているいくつかの行動や思考のパターンが当てはまっているのであれば、「私はアスペルガーの傾向があるかも」と本人が考えるようになるのがいい。

 

第2のステップは、アスペルガーの本人がアスペルガーであることを自覚したあと、その弱点の部分を改善したいと思うかどうかだろう。
私自身は、28歳のときの検査結果でアスペルガーであることを自覚してからも「だから何だ!自分は今まで通り生きてやる!」と思っていたので、その弱点の部分をどうとも思わなかった。
アスペルガー群でも、スペクトラムの中で自閉症群寄りに分類される人であれば、弱点の部分を変えようと思う可能性は低いかもしれない。

私の場合は失恋がきっかけで自分自身のそれまでの生き方は間違っていたと痛烈に思ったことで、生き方を変えようと思った。
しかし、アスペルガーの人が、いやアスペルガーでなかったとしても、10歳を過ぎて明確な自我を持つ人間がそれまでの生き方を変えるのは極めて難しいと思う。
場合によっては本人が自殺をしてしまうかもしれない。

医者やカウンセラーなどのプロに相談し助言を受けることが一番だと思う。
調べれば、住んでいる自治体が発達障害支援などを行っているかもしれないので、そういう情報を探してみるのが先決かもしれない。

 

もしこの記事を読んでいるあなたが自分はアスペルガーかもしれない、少しでもアスペルガーの弱みを克服したいと思っている、しかし医者やカウンセラーに相談するのを少々ためらっているような場合、まずはなぜそう思ったのかを紙に書きだすなどしてみるといいかもしれない。
そう思った理由が、きっかけがあるはずだ。
そして、まずはあなたの性格・行動・考え方を全て変えるのではなく、紙に書きだしたきっかけ(何か失敗をしてしまった、トラブルを起こしてしまった、など)を解決または回避するには何をすれば良かったか「対処法」を考え、やはり紙に書きだしてほしい。
「対処法」がわかったら、あとはそれを日常でできるだけ意識して、少しずつ実践し習慣化してほしい。
毎週日曜日に1週間の振り返りをして、「対処法」を意識できたか、ちゃんと実践できたかを振り返ってほしい。
このルーチンを繰り返すことで、少しずつあなたはその弱点を克服できるかもしれない。

これが苦痛ならば、無理に続ける必要もないし、アスペルガーの弱点克服をする必要もないと思う。
あなたがどんなに周りの人に迷惑をかけていたとしても、あなた自身が困らないのであれば、苦痛を感じてまでそれを続ける必要は無いと思う。
自分自身がアスペルガーかもしれないと自覚しただけでも、あなたはすごい人だと思う。

そして私自身がそうなのだが、自身がアスペルガーだと自覚すると、過去に何気なく行ってきたことのうちのいくつかが恐ろしく非常識だったことに気づくかもしれない。
そのときに、あまり過去を深く振り返りすぎずに、済んだことは済んだこと、これから気をつけようと自分に言い聞かせるのが大切かもしれない。


親しい友人に話すのもよさそうに見えるが、あまり意味はないと思うし、むしろ悪い結果になることの方が多いかもしれない。
アスペルガー的思考にありがちなのが、私は理解しているから相手も理解している、と無意識に思ってしまうことだ。
しかし、他の人の思考プロセスやものごとの理解は全く別物なのだ。

どんなに親しい友人でも、あなたがアスペルガーだと知ったら引いてしまうかもしれない。
そもそも、アスペルガーについて知らないかもしれない。
あなたがアスペルガーについて説明したところで、だから何なのだと思うかもしれない。
あなたがアスペルガーだからといって、その友人が「じゃあなんなの?どうしてほしいの?」と思ってしまうかもしれない。
あなたが仮にアスペルガーだったとして、それを周囲に打ち明けたところで、それは決してあなたの失敗の免罪符にはならない。
他の人を不本意に傷つけてしまったとしても、それが許されるわけではない。
だから、あなたがアスペルガーであるということを友人に話すことは、あまり意味がないかもしれない。

事実、私はそれを伝えることで却って相手を怒らせてしまったことがあった。
アスペルガーで気が回らなかったからといって、不用意な発言で相手を傷つけていいことなどないからだ。
犯罪行為を犯して「法律を知らなかったんです、悪意はありませんでした」と言い訳をしても許されないのと同じなのだ。

恋人や夫婦間のように、親密かつ今後も長い付き合いになる相手であれば伝えておくのもありだと思う。
しかし同時に、自分自身も常に気をつけはしている、免罪符として伝えるわけではないということも伝える必要があると思う。

 

この記事が誰かの参考になれば嬉しいが、心理学的なものは自己判断や素人判断は望ましくないだろう。
上記はあくまでも個人の意見であることを再度書き留めておこう。
本当に気になっているのであれば、医者、カウンセラー、行政などのプロにきちんと相談することを強くお勧めしたい。
私のような素人の書くことよりも、よほど実効的だと思う。