あるアスペの一生

30歳の失恋をきっかけにアスペルガーとしての過去の人生を否定しようともがき苦しみながら生きている阿呆の一生を書き連ねるブログです。

所属欲求が低すぎる

小さな頃から集団に所属することに抵抗があった。
それがどんな集団であったとしてもだ。

 

私が「自我」というか、明確に自分自身の意志を持つようになったのは小学校4年、10歳になる年だったと思う。
その前から、私はあまり学校のクラスに馴染めないような人間だったが、10歳よりも前はそれがよくわかっていなかった。
友達の数は少なかったと思うが、友達がいなくて寂しいという気持ちと、一方で数少ない友達とコミュニケーションを取ることにわずらわしさも感じており、自分自身どちらも望んでいないと考えていたことを覚えている。
小学校4年の頃は一時的に一緒に遊ぶ友達が増えたのだが、クラス替えで仲が良かった友人たちと分かれてしまった11歳以降は、休み時間も一人で過ごすことが多かった。
原因のひとつには、スポーツが幼稚園の頃から大の苦手で、スポーツによる同性の同級生との交流がほぼ不可能だったこともあっただろう。
それにしても、休み時間に一人で小学校の校舎内をひとりでうろうろすることに、もはや寂しさも感じなかった。

 

中学校に進学してからもそうだった。
まったく友達がいないわけではなかったが、私自身が親しいと思わなかったクラスメイトと意識的に接することはほとんどなかった。
中学校の運動会で、同じクラスのメンバーの活躍を冷めた目で見たことで、クラスメイトから文句を言われたこともあったが、私にとって本当に興味がないことだった。
極めつけは高校3年のクラスメイトで、同じクラス40人弱のうち、当時名字を覚えていたのは4人だけだった。

 

大学ではサークルにはよく顔を出したが、同じ学科の同級生との付き合いは実に適当だった。
今思えば浮いていたし、それを問題だったとは全く思わなかった。
研究室に配属されてからも、あまり研究室には顔を出さなかった。
とにかく一人でいる時間が私には何よりも大切だった。

 

いじめられていたかといえば、そうではなかったと思う。
一般的な「いじめ」は複雑でケースバイケースかと思うので一概には言えないと思うが、私は自分自身がいじめられていたとは思わない。
少なくとも、良くも悪くも周りのクラスメイトとの関係も希薄だったからいじめの対象となることもなかったのだと今は思う。
私の存在が無視されていた可能性はあるが、私にとってはそれは一人の時間を作るのに好都合だった。

 

会社に入ってからも、どうにも同僚との付き合いというものが苦手だった。
仕事で疲れているのに仕事のあとに会社のメンバーで飲みに行くのは全く楽しくなかった。
休みの日に会社の付き合いがあると、特にストレスだった。
私が自分のために時間を使える日に、なぜわざわざ平日は毎日顔を突き合わせている人たちと会って色々しなければならないのか、甚だ疑問だったし苦痛だった。
自分の貴重な人生が少しずつ削られていくことにいつも憤りを感じる。

同期のメンバーとの付き合いでさえも苦手だ。
私は「一般的」な「普通」の若者ではなかったので、同期のメンバーのエネルギッシュなノリに付いていけなかった。
かといって大人しくしていることもできなかったので、やはり存在は浮いていたと思う。
入社して7年ほど経った頃、同期の半分近くが結婚して家庭を持ち同期の付き合いが減ったことは、私にとって喜びでしかなかった。

 

仕事の同じ業界の人と付き合うのにも抵抗があった。
会社の特定の専門領域の「顔」となることにやりがいを感じるのと同時に、会社とその業界に少しずつ括り付けられる自分を想像して理由のない恐怖を感じた。
その道のプロになるには必要なプロセスなのに、とにかく人と接すること、というよりは特定の集団の一員となることに強い抵抗を感じる。

 

もちろん私は一人で生きていける人間ではない。
衣食住を自分一人で全て賄うことは全くできていない。
また、全く友人がいなければ、強い孤独を感じるに違いない。
しかし、一般的な人たちが難なく、少なくとも嫌悪感を感じるまでには至らない人付き合いというものが、とにかく苦痛で仕方がないのだ。

それにもかかわらず、完全に一人で生きていくことはできないといつも思う。
この矛盾が私の認知のゆがみによるものなのかどうかはわからないが、生涯付きまとういくつかの課題の一つなのだろうとは思う。