あるアスペの一生

30歳の失恋をきっかけにアスペルガーとしての過去の人生を否定しようともがき苦しみながら生きている阿呆の一生を書き連ねるブログです。

好きなものに執着しすぎる

昔から好き嫌いの激しい子供だった。

好き嫌いというか、0か1かの思考だった。

好きなもの、興味を持ったものにはとことん執着した。

一方で興味のないものもは全くやる気が起きなかった。

 

私は理系だったが、興味さえ持てば他の多くの人が難解だと思われることも比較的難なくこなしてきた。

決して頭が良かったわけではなくて、好きだから勉強することが苦痛でなかったからだ。

一方で、興味がないことには一切やる気が起きなかった。

学校のテストの点が悪いのは良くないことだと思っても、本当に頭も体も、どちらも働かなかった。

私の場合、たくさんのことを単純に暗記しなければならない科目が苦手だった。

具体的には、英単語、漢字、歴史の年号のテストは本当に苦手で、小学生のときからひどい点をとっていた。高校でも科目によっては赤点ギリギリだった。

やらなければならないことはわかっていても、本当に全くやる気が起きなかった。

 

それでも、それが勉強のことであれば大きな問題にはならない。

いや、勉強ができないのは問題だという意見も多いかもしれないが、勉強をして優秀だと評価されるのも、しなくて劣等だと揶揄されるのも、すべて自身の責任で済むのだから。他人に迷惑をかけることはない、という点で大きな問題にはならない。

問題は、対人関係で好き嫌いが明確に出ることだった。

 

私は好きな人にはとことん優しくした。

それは贔屓なのかもしれないが、少なくとも私の中では打算的な気持ちは一切なく、心の底から自分が大切な人には優しくした。

その一方で、興味関心が無い相手には普通の人以上に何もしなかった。

例えば学校のクラスメイトとか大学、会社の同期ならば、最低限の付き合いを世の多くの人はするらしいのだが、私は一切しなかった。

面倒だと思えばちょっとした集まりや飲み会もすべて断った。

 

クラスメイトとか友人関係であればまだよかった。

また、嫌いだと思って一切関わらない人に対してであればそれ以上の外にはならなかった。

一番の問題は、異性に対し好意を寄せてしまったときだと思う。

 

本当に理由はわからないのだが、私は好きな異性ができると、恐ろしいくらいにその相手に執着してしまっていた。

振り返れば10歳から31歳までの、自分の半分以上の人生はそうだった。

もともと異性にモテる要素もない上に、一方的に強い想いを寄せられた異性が私のことを好きになるはずもなく、うまくいくはずもなかった。

それなのに、振られてからも私は何年もその相手のことを忘れることができなかった。

中高生くらいのときは、それが純情なのだと、その考え方もどこで覚えたのかわからないような、変な理屈で自分自身の思いを大切にしていた時期があった。

それは相手にとっては迷惑でしかなかったのに、気持ちを切り替えることが全くできなかった。

大学生になったとき、さすがにこれはおかしいと理性が思っても、その気持ちを払拭することができなかった。

冷静に考えて、新しい恋を見つけるべきだとわかっていても、なぜか、本当に理由はわからないが、元々好きだった人のことを忘れることができなかったし、その状態で誰か別に好きになれそうな人を探すということができなかった。

そして、その一方的な気持ちはさらに互いの人間関係を悪くするだけだった。

それでもその気持ちに区切りをつけられない。

実に破滅的だ。

 

私がアスペルガーであった自分の過去と決別をしようと思って以降は、そこまで強く誰か特定の異性に執着をすることはなくなった。

その一方で、本当に好きな人、好きなものも失ってしまった気がした。
今まで本当に大切だと思っていたほかの友人たちや持ち物、趣味だったことにまでも、情熱が薄れてしまった。
0 か 1 かでいうと、1 が無くなってしまった。どれも「中途半端」な好きになってしまった。

でも、それでいいのかもしれない。

私の一方的な思いが誰かを傷つけるのであれば、そうならない方がいいのだ。

そして、世の多くの人たちは、きっと必ずしも特定の誰かだけを愛し続けるわけでもないというのも現実なのだと、今は理解している。

だから一度結婚しても浮気をする人もいるし、離婚をする人もいる。

倫理的に良い事とはいえないが、それが人間なのだ。

生物学的に考えれば何もおかしくない、遺伝子の多様性確保のための必要なプロセスだ。

 

だからこそ、いつも30歳になる前の自分自身を振り返って不思議に思う。

私が執着していたものとは、いったい何だったのだろうかと。

その強いこだわりは、いったい私の中の何がそうさせていたのだろうと。

どうすればアスペルガーの弱みを克服できるだろうか

私は28歳のときにある場所で2時間4万円かかる心理テストを受けて、私自身がアスペルガー群に分類されることを知った。
仮にそのテストを受けなかったとしても、私の幼少期からの様々な行動や考え方は、テストのような客観的な証拠が無かったとしても、私自身がアスペルガーである可能性が高いことを示していた。

私が「アスペルガー症候群」という言葉を最初に知ったのは22歳のときだった。
児童養護施設での実習で教わった。
その時も私は、なんとなく自分もアスペルガーみたいだなぁと感じた。
そう言ったら、施設の職員さんは笑ってまさかと言っていたが、その6年後に実際に心理テストを受けることになるとは当時の私は当然想像もしていなかった。

私がアスペルガーである自分自身を否定し、できるだけ「一般的な」人になろうとし始めたのは、30歳での失恋、その直後の生きているか死んでいるかわからない1年近くの時間が経った後、31歳を過ぎてからだった。
未だにちょっとしたことで他者の気持ちを考えないような言動があるものの、それを反省して、少しずつ改善しようとはするようになった。

 

アスペルガーは個性だ。性格のひとつだ。
アスペルガーであること自体は、悪いことではない。
しかし一方で、アスペルガーであることによって、周りの人に負担をかけてしまったり、その結果巡り巡って自分自身が生きづらくなってしまうことがある。
日本のような「空気を読め!」という同調圧力の強い社会のみならず、日本よりもずっと個性を尊重するアメリカ合衆国のような国ですら、アスペルガーの人たちやその家族は生きるのが大変らしい。

アスペルガーという性格は、生きる上で強みにも弱みにもなる。
アスペルガーの人がよりよく生きるためには、強みとなる特質を生かせる環境に身を置くことも大切だろうが、同時に弱みとなる部分を克服する必要があるだろう。
職場でも家庭でも、自分自身の言動によって周囲の人がどのように感じるかをちょっと考えるだけでも、その弱みは随分克服されて、生きやすくなるに違いないと私は思う。

 

では、どうすればアスペルガーの弱みを克服できるだろうか。

もし私が20年前に戻り、20年前の私に話しかけることができたとしたら、何を伝えれば私の人生はより生きやすくなっていただろうか。

もちろん、一般的な方法は存在しないだろう。
それが存在すれば、アスペルガーの人も、その周囲の人も、それを支える精神科の先生方も、誰も悩むことはないだろう。

本当に悩んでいる人は、まずはプロである精神科・心療内科の先生か、それよりもお金はかかるが臨床心理士のカウンセラーの先生などプロに相談してみるべきだと思う。
個人的な経験から言えば、アスペルガーは病気ではなく、それ故に薬で治るというものでもないので、精神科・心療内科の先生よりはじっくり話を聞いてくださるカウンセリングの先生の方が良いのではないかと思っている。

 

以下はあくまで、アスペルガーを自覚した私の個人的な意見であることを特筆しておきたい。

 

一番重要なことは、アスペルガーであろう人自身が「私はアスペルガーかもしれない」と自覚することだと思う。
これが第1のステップだ。
もしもあなた自身がそれを自覚してこのウェブサイトにたどり着いたのであれば、もうこの段階を達成できていると思う。
それ以上何か新しいことをする必要はないと私は思う。

アスペルガーであるかどうかの正確な診断は、お金もかかるしそれを行っている病院等も少ないので、それ自体は必須ではないと考えている。
(病院やカウンセリングに行く必要はない、というわけではなく、病院でアスペルガーかどうかの診断をしてもらう必然性はない、ということである。)
ASDについて解説している心療内科や精神科のウェブサイト等で紹介されているいくつかの行動や思考のパターンが当てはまっているのであれば、「私はアスペルガーの傾向があるかも」と本人が考えるようになるのがいい。

 

第2のステップは、アスペルガーの本人がアスペルガーであることを自覚したあと、その弱点の部分を改善したいと思うかどうかだろう。
私自身は、28歳のときの検査結果でアスペルガーであることを自覚してからも「だから何だ!自分は今まで通り生きてやる!」と思っていたので、その弱点の部分をどうとも思わなかった。
アスペルガー群でも、スペクトラムの中で自閉症群寄りに分類される人であれば、弱点の部分を変えようと思う可能性は低いかもしれない。

私の場合は失恋がきっかけで自分自身のそれまでの生き方は間違っていたと痛烈に思ったことで、生き方を変えようと思った。
しかし、アスペルガーの人が、いやアスペルガーでなかったとしても、10歳を過ぎて明確な自我を持つ人間がそれまでの生き方を変えるのは極めて難しいと思う。
場合によっては本人が自殺をしてしまうかもしれない。

医者やカウンセラーなどのプロに相談し助言を受けることが一番だと思う。
調べれば、住んでいる自治体が発達障害支援などを行っているかもしれないので、そういう情報を探してみるのが先決かもしれない。

 

もしこの記事を読んでいるあなたが自分はアスペルガーかもしれない、少しでもアスペルガーの弱みを克服したいと思っている、しかし医者やカウンセラーに相談するのを少々ためらっているような場合、まずはなぜそう思ったのかを紙に書きだすなどしてみるといいかもしれない。
そう思った理由が、きっかけがあるはずだ。
そして、まずはあなたの性格・行動・考え方を全て変えるのではなく、紙に書きだしたきっかけ(何か失敗をしてしまった、トラブルを起こしてしまった、など)を解決または回避するには何をすれば良かったか「対処法」を考え、やはり紙に書きだしてほしい。
「対処法」がわかったら、あとはそれを日常でできるだけ意識して、少しずつ実践し習慣化してほしい。
毎週日曜日に1週間の振り返りをして、「対処法」を意識できたか、ちゃんと実践できたかを振り返ってほしい。
このルーチンを繰り返すことで、少しずつあなたはその弱点を克服できるかもしれない。

これが苦痛ならば、無理に続ける必要もないし、アスペルガーの弱点克服をする必要もないと思う。
あなたがどんなに周りの人に迷惑をかけていたとしても、あなた自身が困らないのであれば、苦痛を感じてまでそれを続ける必要は無いと思う。
自分自身がアスペルガーかもしれないと自覚しただけでも、あなたはすごい人だと思う。

そして私自身がそうなのだが、自身がアスペルガーだと自覚すると、過去に何気なく行ってきたことのうちのいくつかが恐ろしく非常識だったことに気づくかもしれない。
そのときに、あまり過去を深く振り返りすぎずに、済んだことは済んだこと、これから気をつけようと自分に言い聞かせるのが大切かもしれない。


親しい友人に話すのもよさそうに見えるが、あまり意味はないと思うし、むしろ悪い結果になることの方が多いかもしれない。
アスペルガー的思考にありがちなのが、私は理解しているから相手も理解している、と無意識に思ってしまうことだ。
しかし、他の人の思考プロセスやものごとの理解は全く別物なのだ。

どんなに親しい友人でも、あなたがアスペルガーだと知ったら引いてしまうかもしれない。
そもそも、アスペルガーについて知らないかもしれない。
あなたがアスペルガーについて説明したところで、だから何なのだと思うかもしれない。
あなたがアスペルガーだからといって、その友人が「じゃあなんなの?どうしてほしいの?」と思ってしまうかもしれない。
あなたが仮にアスペルガーだったとして、それを周囲に打ち明けたところで、それは決してあなたの失敗の免罪符にはならない。
他の人を不本意に傷つけてしまったとしても、それが許されるわけではない。
だから、あなたがアスペルガーであるということを友人に話すことは、あまり意味がないかもしれない。

事実、私はそれを伝えることで却って相手を怒らせてしまったことがあった。
アスペルガーで気が回らなかったからといって、不用意な発言で相手を傷つけていいことなどないからだ。
犯罪行為を犯して「法律を知らなかったんです、悪意はありませんでした」と言い訳をしても許されないのと同じなのだ。

恋人や夫婦間のように、親密かつ今後も長い付き合いになる相手であれば伝えておくのもありだと思う。
しかし同時に、自分自身も常に気をつけはしている、免罪符として伝えるわけではないということも伝える必要があると思う。

 

この記事が誰かの参考になれば嬉しいが、心理学的なものは自己判断や素人判断は望ましくないだろう。
上記はあくまでも個人の意見であることを再度書き留めておこう。
本当に気になっているのであれば、医者、カウンセラー、行政などのプロにきちんと相談することを強くお勧めしたい。
私のような素人の書くことよりも、よほど実効的だと思う。

性欲と、自分の過去の生き方とを天秤にかけた話

私がアスペルガーである自分自身を否定したのは、30歳のときの失恋だった。
失恋自体は、その前に何度も経験していた。
そして30歳のときの失恋が、今振り返れば特別だったというわけでもなかった。
ただ、その時初めて、私は自分の生き方は間違っていたと自覚するようになった。

私は好きな「もの」は好き、嫌いな「もの」は嫌いという人間だった。
これは徹底していたし、未だにそうだと思う。
厄介だったのは、これが「物」であれば私個人の問題で帰着したのだが、「者」だったときに誰かに影響を及ぼすことだった。
そう思えるようになったのも私が自分自身のそれまでの人生をすべて否定した30歳からのことだったが。

私が間違いなくアスペルガーの気質をもっていた根拠のひとつに、一度何かに執着するとそれを手放そうとしない、自分で「それはいけないことだ!」と意識しても手放せないことだった。
その異常なこだわりが、私の人生に最も悪い影響を及ぼしたのが恋愛だった。

私は自分自身の自我が芽生えたと思われる10歳を過ぎてから、異性を意識するようになった。
一番の問題は、それが不特定多数の異性ではなく、特定の異性だったことだった。
自分自身でもなぜそうだったのか未だにわからないが、誰か特定の異性を好きだと意識したら、その人以外のことを考えることができなかった。

一般的な「男の子」はそうでもないようだった。
恋人になってセックスをするチャンスがあるのであれば、多少好みに合わない異性だったとしても、好意を寄せてくれる異性と付き合う友人たちも多かった。
特定の異性に強い好意を寄せて、告白した結果相手にされなかったとしても、数か月すれば自分自身の気持ちを切り替えて、別の異性を意識するようになるものだったようだ。

しかし私は違った。
特定の、自分が「好き」だと認識した異性に執着してしまった。
逆に、自分自身が好きだと思った相手以外を意識することは不純だと勝手に思っていた。

これが相思相愛の関係であれば純愛とでもいえるのだろうが、一般的にはそうならない。
私が相手を思えば思うほど、相手は「重い」、「気持ち悪い」と感じただろう。
それ以前に、私自身は様々な面で社会性に欠如しており、異性からしてみれば魅力的な人間には到底思えなかっただろう。

私は誰か特定の異性を好きになったとき、だいたいはお互いの関係性などを全く考えずに私が一方的に相手に思いを伝えることで、相手から拒絶された。
拒絶されたとき、気持ちを整理して別の異性を探せばよかったものを、そのショックを引きずり、かつすぐに別の異性を求めることを悪だと勝手に思い込んでいたために(このような価値観をどこで身に着けたか未だにわからない)、一度一方的な失恋をするとその後数年はそれを引きずってしまうという経験をしていた。
今思えばストーカー気質の危険人物であったことは否めないし、きっと私を振った相手も面倒だと思っていたいどころか、恐怖すら感じていたかもしれない・・・。

このような私でも、好意を寄せてくれた異性は過去に何人かいたようだ。
普通の「男」であれば、その好意に答えて恋人になることができるのであろうが、私にはできなかった。
また、私は純潔であることが大切だと、自分でもいつ身に着けたか全くわからない価値観を頑なに守っていた。
それを失ったのは、27歳のときに私に好意を寄せてくれた異性がいたからだったが、結果的に私たちにはそれ以上の進展はなかった。
私の気持ちが全く伴わなかったのが理由だ。

 

私は30歳のときに、ある異性との、その当時に私にとっては「運命的」な出会いがあった。
しかし、それまでと同様、恋人という関係になる前に結局拒絶されてしまった。

その後11か月、私は生きているような生きていないような時間を過ごしていた。
今でもそうだが、私は死を極度に恐れる人間だったので、自ら死を選ぶことはなかった。
しかし、自分自身が生きている意味も見出すことはできなかった。
自死もできず、生きている価値も感じられず、ただ事故かなにかで自身の生涯を終えることをひたすら望む11か月だった。
この11か月間、私は常に胸が痛かったのを今でも鮮明に覚えている。
そしておそらく人生で初めて、それまで没頭していた数々の趣味を楽しくないと感じるようになった。
実は今でも、どんなに楽しいことをしていても、どこかで虚しさを感じることがある。

私はその相手を悪く思うつもりは一切ない。
明らかに私の何かが悪かったのだから。
今でも何が悪かったのか具体的なことはわからないのだが、私の何かが、私から距離を置こうと相手が感じるきっかけとなったのには違いないと思った。
そう気づいたとき、私は私のそれまでの過去30年間の人生すべてを否定するようになった。
それが最終的に、アスペルガーだった自分自身を否定することになった。
それは結果的に良かったことなのだと今は思う。

 

私はそのときの失恋がきっかけで、自身がアスペルガーであることを自覚し、それまでの自分自身を否定するようになった。
しかし、もし私がアスペルガーでなかったら、その恋は果たして成就していただろうか。

もちろん仮の話だから断言はできないのだが、私がもし「一般的な男」であったならば、ある程度まではうまくいっていた可能性はあっただろう。
それまでの経験をもとに、適切な時間をかけて、相手との距離を適度に縮めることができたかもしれない。
首尾よくいけば、今頃は結婚もしていて、もしかしたら子供もいる、この国のステレオタイプな家庭を築くことができたかもしれない。
それは私が就職したときに最も理想的だと思い描いていた姿だ。

しかし、私の人生は現にそうならなかった。
そして、そのような人生は私自身のものではない、なにか別の小説の主人公かなにかの話のように思えるのだ。
その理由は、アスペルガーとして生きてきて、それを恥ずかしいとも思わずむしろ誇りにすら思っていた私自身の過去30年間の人生は、私を「一般的な男」にはしないであろうと思ってしまうからだ。
当然のことだが、自分自身の過去を否定することはできても、過去を消し去ることはできないのだ。
私が30歳のときその恋愛が成就していたとすれば、それは既にアスペルガーだった私ではないのだ。

 

私は結局、一人で生きることができない人間だった。
一人で生きるには、あまりにも性欲が強く、異性に依存する人間だった。
一方で異性に依存する割には異性と仲良くする努力もしない人間だった。
その事実に気づいて何年か経った今、少しは「普通の男」になれているのだろうか。
それすらも自分自身では判断できない。

しかし、異性に限らず、相手の気持ちを考える時間を作るようにはなった。
私から見れば「一般的な」人がどのようなことを望み、何を厭うのかを考えるようになった。
通常の発達過程ではそれこそ中学生くらいには自然と身に着けていることではあるが、私にはそれができていなかった。
時々忘れて未だに空気が読めないこともあるが、他者の気持ちを察する努力をするようになったことは、年齢的には遅すぎたとはいえ少しは成長したのだと思う。

所属欲求が低すぎる

小さな頃から集団に所属することに抵抗があった。
それがどんな集団であったとしてもだ。

 

私が「自我」というか、明確に自分自身の意志を持つようになったのは小学校4年、10歳になる年だったと思う。
その前から、私はあまり学校のクラスに馴染めないような人間だったが、10歳よりも前はそれがよくわかっていなかった。
友達の数は少なかったと思うが、友達がいなくて寂しいという気持ちと、一方で数少ない友達とコミュニケーションを取ることにわずらわしさも感じており、自分自身どちらも望んでいないと考えていたことを覚えている。
小学校4年の頃は一時的に一緒に遊ぶ友達が増えたのだが、クラス替えで仲が良かった友人たちと分かれてしまった11歳以降は、休み時間も一人で過ごすことが多かった。
原因のひとつには、スポーツが幼稚園の頃から大の苦手で、スポーツによる同性の同級生との交流がほぼ不可能だったこともあっただろう。
それにしても、休み時間に一人で小学校の校舎内をひとりでうろうろすることに、もはや寂しさも感じなかった。

 

中学校に進学してからもそうだった。
まったく友達がいないわけではなかったが、私自身が親しいと思わなかったクラスメイトと意識的に接することはほとんどなかった。
中学校の運動会で、同じクラスのメンバーの活躍を冷めた目で見たことで、クラスメイトから文句を言われたこともあったが、私にとって本当に興味がないことだった。
極めつけは高校3年のクラスメイトで、同じクラス40人弱のうち、当時名字を覚えていたのは4人だけだった。

 

大学ではサークルにはよく顔を出したが、同じ学科の同級生との付き合いは実に適当だった。
今思えば浮いていたし、それを問題だったとは全く思わなかった。
研究室に配属されてからも、あまり研究室には顔を出さなかった。
とにかく一人でいる時間が私には何よりも大切だった。

 

いじめられていたかといえば、そうではなかったと思う。
一般的な「いじめ」は複雑でケースバイケースかと思うので一概には言えないと思うが、私は自分自身がいじめられていたとは思わない。
少なくとも、良くも悪くも周りのクラスメイトとの関係も希薄だったからいじめの対象となることもなかったのだと今は思う。
私の存在が無視されていた可能性はあるが、私にとってはそれは一人の時間を作るのに好都合だった。

 

会社に入ってからも、どうにも同僚との付き合いというものが苦手だった。
仕事で疲れているのに仕事のあとに会社のメンバーで飲みに行くのは全く楽しくなかった。
休みの日に会社の付き合いがあると、特にストレスだった。
私が自分のために時間を使える日に、なぜわざわざ平日は毎日顔を突き合わせている人たちと会って色々しなければならないのか、甚だ疑問だったし苦痛だった。
自分の貴重な人生が少しずつ削られていくことにいつも憤りを感じる。

同期のメンバーとの付き合いでさえも苦手だ。
私は「一般的」な「普通」の若者ではなかったので、同期のメンバーのエネルギッシュなノリに付いていけなかった。
かといって大人しくしていることもできなかったので、やはり存在は浮いていたと思う。
入社して7年ほど経った頃、同期の半分近くが結婚して家庭を持ち同期の付き合いが減ったことは、私にとって喜びでしかなかった。

 

仕事の同じ業界の人と付き合うのにも抵抗があった。
会社の特定の専門領域の「顔」となることにやりがいを感じるのと同時に、会社とその業界に少しずつ括り付けられる自分を想像して理由のない恐怖を感じた。
その道のプロになるには必要なプロセスなのに、とにかく人と接すること、というよりは特定の集団の一員となることに強い抵抗を感じる。

 

もちろん私は一人で生きていける人間ではない。
衣食住を自分一人で全て賄うことは全くできていない。
また、全く友人がいなければ、強い孤独を感じるに違いない。
しかし、一般的な人たちが難なく、少なくとも嫌悪感を感じるまでには至らない人付き合いというものが、とにかく苦痛で仕方がないのだ。

それにもかかわらず、完全に一人で生きていくことはできないといつも思う。
この矛盾が私の認知のゆがみによるものなのかどうかはわからないが、生涯付きまとういくつかの課題の一つなのだろうとは思う。

友人たちに感謝したい

他人との距離感をつかむのが苦手だった。

何らかのコミュニティに所属することが苦痛だった。

私は一匹狼のような生き方を常に望んできたし、今も本質的にはそうである。

一人で生きられるほどの力も実力もないのだが、自分が望まないこと、自分が良しとしないことをする方がその何倍も嫌だった。

 

空気が読めないだけならいざ知らず、今思えば過去の、20代の頃の私は実に攻撃的だった。

他者の気持ちなど考えようともしなかったし、自分自身が気に入らないものは徹底的に否定した。

私は、単なるアスペルガーなのではなく、好戦的なアスペルガーだったと思う。

私以外のアスペルガーの人たち皆が皆そうだとは思わない。

その点は、この記事を読んでくださる方々には誤解しないでいただきたい。

 

他の人の気持ちが読めない上に攻撃的だった性格の私は、今思えば数々の対人関係のトラブルを起こしていた。

問題は、その当時の私はそれをトラブルとも認識していなかったことだ。

その結果として誰かが私から離れていくことに、私は一切の苦痛を感じなかった。

むしろ私にとっての面倒事がひとつ減ったと歓迎すらしていた。

 

そんなサイコパスそのものの私にさえも、友人がいる。

確かに一般的な人と比べればその数は少ないのかもしれない。

しかし、今でも親交がある友人は何人もいる。

 

小学校からの友人がひとり、高校時代の友人がふたり、大学時代は所属学科だけでも8人、所属サークルでは10人以上も、未だに年賀状だけでなくLINEやメールで連絡を取り合っているし、コロナ禍で機会は減ったが直接会うこともある。

社会人になってからも会社の同期ではふたり、特に仲良くしてくれる友人ができた。出向先で知り合った他社のひとではふたり、未だに連絡を取っている。ひとりは結婚しているが子供がいないのもあってか、ゴールデンウィークや夏休み、正月休みには一緒に出掛けたりもする。

圧倒的に同性の友人が多いものの、異性の友達さえもいる。

 

私は友人たちに本当に感謝したい。

前述した友人たちは、私が自分自身のアスペルガーで好戦的という性格を否定する以前から友人だった。

私の記憶する限りでは、私はそのような友人たちにも一般常識では失礼なことを間違いなくしていたと思う。

それにもかかわらず、私から離れず未だに交流を続けてくれている。

友人たちがいなければ、私の人生はもっと空虚なものになっていただろう。

 

一方で、そのような友人たちがいるのも私のアスペルガー的な要素があったのかもしれない。

私は自分がどうでもいいと思ったものは一切の感情を持たなかったが、私自身が大切だと思った人やものに対しては、もしかしたら「普通の人」以上のことをしていたかもしれない。

私は誰かの誕生日をメモもしないのになぜか覚えているのだが、前述した友人たちの誕生日には未だに誕生日おめでとうのメッセージを送っている。

(2年前から自分で良くないかもと思うようになり、既婚の異性の友人にはメッセージを送らないようにしている。)

自分が大切だと思うものは徹底的に大切にしようとするのも多少は友人をつなぎとめるのに貢献していたのかもしれない。

 

それにしても、私のようなどうしようもないパーソナリティを持つ人間と未だに昔のように分け隔てなく接してくれる友人たちには本当に感謝の念しかない。

そのようなことを本人に伝えるのも卑屈だと思うようになったのでわざわざ伝えることはないが、今後も今の友人たちを大切にしたい。

少なくとも、私の過去の行いで、今の私の友人の数の何倍も私を憎み嫌っている人がいるのも事実だろうから。

強みも失われてしまったこと

私はアスペルガーだったので、世間一般でいうところの「空気」をまったく読めない人間だった。

今でも本質的にはそうかもしれないが、だいぶ気を付けているつもりだ。

余計なことは言わない、自分の意見主張はしないように努めている。

 

ただ、その結果私自身の強みが失われてしまったと思うこともある。

自己主張しない人間が無難に評価されることが多い日本社会の中でも、自己主張した方が評価される世界もあった。

それが大学だった。

私は学生だった当時、思い立ったが吉日と言わんばかりに、興味をもった授業を担当する先生何人かの研究室にアポなしでいきなり押しかけて色々な質問をしたことがあった。

これは偶然だったが、そのような時に先生方はたまたま研究室にいらっしゃった。

今思えば本当に幸運で、私が事前連絡も無しに尋ねた先生方は本当に忙しく、普段は研究室にいることが稀だった。(と、当時の先輩方に言われて何度も驚かれた。)

 

社会人になってから、忙しい先生方に事前連絡も無しにいきなり研究室に行くなどという行為は失礼も甚だしいことを知った。

しかし、先生方は二十歳になったばかりの若い熱意あふれた(と同時に空気を読めなかった)私を本当に快く受け入れてくださり、お忙しい中少なくとも1時間は時間を割いてくださったことも多かった。

私はその後、研究面で大学の学科内で色々と問題視されることになったが、そのとき私が押しかけに行った先生方は割と私の味方になってくださったと後で思った。

没個性的な社会において、私の「空気の読めない」行動が逆にポジティブに評価されたのだと思った。

もちろん先生方の研究室に押し掛けた時はそんな打算的な気持ちはなく、己の知的好奇心の赴くがままに行動しただけだったが。

 

失礼極まりない行動だったことは事実だが、その当時の先生方は若気の至りという点も考慮して、それをやる気がある学生だと評価してくださった。

一方で、今はそのような行動をとるのに躊躇してしまう。

もちろん、それが普通なのだ。

会社の取締役や部長に事前相談無しに話に行くなんて言語道断だ。

若くても許されるものではない。

しかし、その常識を得てからは、良くも悪くも向う見ずなチャレンジ精神を失ってしまった自分自身にがっかりすることもある。

多くの場面でそれは失礼なことだったのかもしれないが、もしかしたらわずかな確率で大きなチャンスを手に入れることができる可能性も秘めているから。

少なくとも私が学んでいた大学では、私の普通の人とは違うチャレンジ志向を評価してくださった先生方が何人もいらっしゃったから。

このブログについて

2018年12月、私は自殺した。

当時34歳の私は、それまでの自分自身のすべての価値観や人生を否定した。

今の私はその亡霊でしかない。

 

このようなブログを書いているので、事実として私の肉体は生きている。

しかしその人格や価値観はずいぶん変わってしまったと思う。

結果的にはそれで良かったのだと思う。

それまでの私は、本当に周りにいた人たちの気持ちというものを一切考えずに生きていたのだから。

少なくとも私は、2015年3月までは周囲の人との関わり方について深く考えずに生きてきた。

今も残念ながらその「神髄」が残っていることがあるが、それでも周囲の人を不快にさせることはかなり減ったのではないかと思う。

 

 私がアスペルガーという言葉を知ったのは22歳のときだった。

その時私は、自分自身がそうかもしれないと思ったが気に留めなかった。

あるきっかけで28歳の時に専門的な検査を受け私はアスペルガーに分類されることを知らされたとき、私はそれを気にしなかった。

だからなんだ、自分は自分なんだと思った。

しかし、私は一人で生きられるほど強くはなかった。

 

アスペルガーでウェブを調べると、アスペルガーの人に対する一般の人の対処法に関する記事が実に多く出てくる。

YouTube のような動画投稿サイトでもそうだ。

それらを見るたびに私は過去の自分自身を思い出し恥ずかしくなり、また過去に迷惑をかけた人たちに申し訳なく思う。

 

しかし、誰か私のような人はこの世の中にいないのだろうか。

アスペルガーを自覚し(自覚せざるを得なくなり)過去の自分自身を否定した人はいないだろうか。

 

匿名であるとはいえ、私がアスペルガーASD)であったことを公表するのは抵抗がある。

それでも、私の体験が誰かの役に立つことはないだろうかと36歳になってから思うようになった。

アスペルガーの自分自身に疑問を思う人や、身近にアスペルガーと思われる人がいて日々迷惑を感じている人に、何か役立つことはないだろうか。

 

役に立つことも立ちそうもないことも、私自身の人生を振り返りながら、このブログに記録していこうと思う。