あるアスペの一生

30歳の失恋をきっかけにアスペルガーとしての過去の人生を否定しようともがき苦しみながら生きている阿呆の一生を書き連ねるブログです。

友人たちに感謝したい

他人との距離感をつかむのが苦手だった。

何らかのコミュニティに所属することが苦痛だった。

私は一匹狼のような生き方を常に望んできたし、今も本質的にはそうである。

一人で生きられるほどの力も実力もないのだが、自分が望まないこと、自分が良しとしないことをする方がその何倍も嫌だった。

 

空気が読めないだけならいざ知らず、今思えば過去の、20代の頃の私は実に攻撃的だった。

他者の気持ちなど考えようともしなかったし、自分自身が気に入らないものは徹底的に否定した。

私は、単なるアスペルガーなのではなく、好戦的なアスペルガーだったと思う。

私以外のアスペルガーの人たち皆が皆そうだとは思わない。

その点は、この記事を読んでくださる方々には誤解しないでいただきたい。

 

他の人の気持ちが読めない上に攻撃的だった性格の私は、今思えば数々の対人関係のトラブルを起こしていた。

問題は、その当時の私はそれをトラブルとも認識していなかったことだ。

その結果として誰かが私から離れていくことに、私は一切の苦痛を感じなかった。

むしろ私にとっての面倒事がひとつ減ったと歓迎すらしていた。

 

そんなサイコパスそのものの私にさえも、友人がいる。

確かに一般的な人と比べればその数は少ないのかもしれない。

しかし、今でも親交がある友人は何人もいる。

 

小学校からの友人がひとり、高校時代の友人がふたり、大学時代は所属学科だけでも8人、所属サークルでは10人以上も、未だに年賀状だけでなくLINEやメールで連絡を取り合っているし、コロナ禍で機会は減ったが直接会うこともある。

社会人になってからも会社の同期ではふたり、特に仲良くしてくれる友人ができた。出向先で知り合った他社のひとではふたり、未だに連絡を取っている。ひとりは結婚しているが子供がいないのもあってか、ゴールデンウィークや夏休み、正月休みには一緒に出掛けたりもする。

圧倒的に同性の友人が多いものの、異性の友達さえもいる。

 

私は友人たちに本当に感謝したい。

前述した友人たちは、私が自分自身のアスペルガーで好戦的という性格を否定する以前から友人だった。

私の記憶する限りでは、私はそのような友人たちにも一般常識では失礼なことを間違いなくしていたと思う。

それにもかかわらず、私から離れず未だに交流を続けてくれている。

友人たちがいなければ、私の人生はもっと空虚なものになっていただろう。

 

一方で、そのような友人たちがいるのも私のアスペルガー的な要素があったのかもしれない。

私は自分がどうでもいいと思ったものは一切の感情を持たなかったが、私自身が大切だと思った人やものに対しては、もしかしたら「普通の人」以上のことをしていたかもしれない。

私は誰かの誕生日をメモもしないのになぜか覚えているのだが、前述した友人たちの誕生日には未だに誕生日おめでとうのメッセージを送っている。

(2年前から自分で良くないかもと思うようになり、既婚の異性の友人にはメッセージを送らないようにしている。)

自分が大切だと思うものは徹底的に大切にしようとするのも多少は友人をつなぎとめるのに貢献していたのかもしれない。

 

それにしても、私のようなどうしようもないパーソナリティを持つ人間と未だに昔のように分け隔てなく接してくれる友人たちには本当に感謝の念しかない。

そのようなことを本人に伝えるのも卑屈だと思うようになったのでわざわざ伝えることはないが、今後も今の友人たちを大切にしたい。

少なくとも、私の過去の行いで、今の私の友人の数の何倍も私を憎み嫌っている人がいるのも事実だろうから。